Q心の持ちようと行いをどのように心がければ良いですか?


この世の中は、決して一人では生きていけません。
多くの人達と関わり、支え合いながら一生を過ごしていきます。
時には、その人間関係で苦しんだり悩んだりする私たち・・・
法華経を信仰し、その教えを伝えていく私たちの自身の心の持ちようと、
自身の行いをどのように注意すればいいのか?
そのヒントをお釈迦さまが、法華経の『安楽行品第十四』というお経に、
分かりやすく心得としてお教え下さっています!
それが・・・
四安楽行(しあんらくぎょう)です。
四安楽行は、

身安楽行(しんあんらくぎょう)
口安楽行(くあんらくぎょう)
意安楽行(いあんらくぎょう)
誓願安楽行(せいがんあんらくぎょう)

の四つを指します!
まず身安楽行とは、いかに振る舞うか!!
という事を説かれています。

 

〈振る舞い

忍辱(にんにく)と柔和善順(にゅうわぜんじゅん)

忍耐強く柔和に、善にしたがい、荒々しく振る舞ったり、
動揺したりしないよう心懸けることが大事。
また思い上がることなく、不平等がおこらないよう、
差別のない慈悲の心で相手と接するようにとお教えです。
もっと簡単に言うと・・・
しんぼう強く、やさしく振る舞いなさい
ということ
さらには、他の人との交際についての心得も説かれています。

①権力のある人に見返りを求めて近づいてはならない。
②邪法を説く人や、何でも反対する人に近づいてはならない。
③ギャンブルや、呪術的なものに感心をもってはならない。
④生き物を殺す人に近づいて、残忍性を助長してはいけない。
⑤自分だけが救われたら良いと思っている人達に近づいてはならい。
⑥婦人に法を説くときは厳正な態度でのぞむこと。
⑦男性の本性を欠く者を相手するときは、慎重になること。
⑧一人で他人の家に入ってはならない。もし入るときは、仏さまと共にいる気持ちで。
⑨女性に法を説くときは、馴れ馴れしい態度や、ふしだらな態度をとらない。
⑩美少年を側におかない。


ここで注意しなければならないのは、
これらの人々と交際をいっさい禁じたのではなく、
親しくなりすぎて、影響を受けたり、
相手を利用しようという気持ちを戒められていると言うことです。
もし相手が法を求めるならば、畏れることなく
見返りを期待することなくのぞみなさいとお教えです!
しんぼう強く、やさしく振る舞い、
人と接するときは、
あってはならない態度をとってはいけない
ということでしょう
しかし、当たり前のことこそが一番むずかしい・・・
だからこそ、心を落ち着け、身の振る舞いをしっかりと整えることが大事なのですね。
今一度、基本に立ち返り、
仏さまの教えを心に植え付けなければなりませんね。。。

〈言葉の戒め〉


私たちが人間関係で失敗する一番大きな原因は、
口から発せられる言葉
だからこそ、『口は災いの元』と昔から言われているわけです。
法華経の中でお釈迦さまは、

 

①悪口を言わない
②人の善し悪し、長所・欠点を言わない
③名指しで非難しない
④美辞麗句を言わない

と、丁寧に口から出る言葉の注意をしてくださっています。
人を名指しで悪口を言ったり、
あの人はあそこがダメだと欠点を言うのはもちろんですが、
へりくだって気持ちもないのに、
飾った言葉で相手を愚弄してはいけないということでしょう。
このように、慈愛の心を持って他人と話すことで、
相手も逆らう気持ちをおこすことなく、
聞く人の心にスッとはいっていきますよ♪
と名説法者であるお釈迦さまの、私たちに対してのアドバイスです!

また、笑顔にて語ることを心懸けることや、
たとえ話など分かりやすく相手の立場に立って語る
ことが大事と、言葉の基本を教えて下さっています
いやはや・・・
こうやって学んでいますと、
自分自身の相手に対する言葉はなっていないなぁ・・・
と反省するばかりですね

 

ひとつの言葉でけんかして
ひとつの言葉で仲直り
ひとつの言葉で涙を流し
ひとつの言葉で笑い合う
ひとつの言葉で頭が下がり
ひとつの言葉でいがみ合う
ひとつの言葉はそれぞれに
ひとつの心をもっている

大きな大きな力を持っている言葉・・・。
もう一度、見つめ直して参りたいですね(。-人-。)

〈心の持ち方〉


日蓮大聖人も、

たゞ心こそ大切なれ

『四條金吾殿御返事』

と、おっしゃっていますように、心というのは私たちの根幹でもあります。
その心の持ち方をどうすればいいのか?

 

①嫉妬しない
②へつらって自分の心を欺かない
③人を軽んじたり馬鹿にしない
④相手がやる気をなくすようなことはしない
⑤意味のない議論はしない
⑥常に相手を救おうとする心持ちが大事
⑦お父さんと接するような心で
⑧どんな人においても尊敬の念を持ちなさい
⑨えこひいきすることなく平等に

以上、お釈迦さまの私たちに対するアドバイスです。

このような気持ちで相手と接することで、
良き仲間が自分の周りに集まってくるのだと法華経は教えてくれます!

自分が変われば相手が変わる

相手が変われば心が変わる

心が変われば言葉が変わる

言葉が変われば態度が変わる

態度が変われば習慣が変わる

習慣が変われば運が変わる

運が変われば人生が変わる

これは『幸せ八変化』という詩ですが、
心が良い方向に変われれば、
人生も開花していくのではないでしょうか♪

ただ心こそ大切なれ

お釈迦さま、日蓮大聖人のお言葉が心に染みいります

 

〈誓いと願い〉

 

ここでの誓願というのは、すべての人に対して、
大慈大悲の心を起こして、救っていこう
と決意することです!
このような誓願をもつ人は、仏さまと同じ心なので、
諸天善神が朝も昼も夜も、常に守護してくださるのです。
私たちはついつい、あの人は嫌いだからどうでもいい・・・
あの人は好きだから、なんとかしてあげたい・・・
と自分の好き嫌いで、行動が変わってしまいがちですが、
それではいけないのですね。

ココにこんな話があります・・・。
少し長いですが、とても感動する話ですので是非お読み下さい。

 

本当に感動した時の言葉はありがとう

一人のお母さんから、とても大切なことを教えられた経験があります。
そのお宅の最初に生まれた男の子は、高熱を出し、知的障害を起こしてしまいました。
次に生まれた弟が二歳のときです。
ようやく口がきけるようになったその弟がお兄ちゃんに向かって、こう言いました。

「お兄ちゃんなんてバカじゃないか」

お母さんは、はっとしました。それだけは言ってほしくなかった言葉だったからです。
そのとき、お母さんは、いったんは弟を叱ろうと考えましたが、思いなおしました。
―――
弟にお兄ちゃんをいたわる気持ちが芽生え、育ってくるまで、
長い時間がかかるだろうけど、それまで待ってみよう。
その日から、お母さんは、弟が兄に向かって言った言葉を、
自分が耳にした限り、毎日克明にノートにつけていきました。
そして一年たち、二年たち・・・しかし、相変わらず弟は、
「お兄ちゃんのバカ」としか言いません。
お母さんはなんべんも諦めかけ、叱って、無理やり弟の態度を改めさせようとしました。
しかし、もう少し、もう少し・・・と、根気よくノートをつけ続けました。
弟が幼稚園に入った年の七夕の日、
偶然、近所の子どもや親戚の人たちが家に集まりました。
人があまりたくさん来たために興奮したのか、
お兄ちゃんがみんなの頭をボカボカとぶちはじめました。
みんなは 「やめなさい」と言いたかったのですが、
そういう子であることを知っていましたから、言い出しかねていました。
そのとき、弟が飛び出してきて、お兄ちゃんに向かって言いました。

「お兄ちゃん、ぶつならぼくだけぶってちょうだい。ぼく、痛いって言わないよ」

お母さんは長いこと、その言葉を待っていました。そ
の晩、お母さんはノートに書きました。

「ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう・・・」

ほとんど無意識のうちに、
ノートの終わりのページまで鉛筆でぎっしり、「ありがとう」を書き連ねました。
人間が本当に感動したときの言葉は、こういうものです。
やがて弟は小学校に入学しました。
入学式の日、教室で初めて席が決められました。
ところが弟の隣に、小児マヒで左腕が不自由な子が座りました。
お母さんの心は動揺しました。家ではお兄ちゃん、学校ではこの友だちでは、
幼い子に精神的負担が大きすぎるのではないかと思ったからです。
その夜、ご主人と朝まで相談しました。家を引っ越そうか、
弟を転校させようかとまで考えたそうです。
結局、しばらく様子を見てから決めようということになりました。
学校で最初の体育の様子を見てから決めようということになりました。
学校で最初の体育の時間のことです。
受持ちの先生は、手の不自由な子が体操着に着替えるのを放っておきました。
手伝うのは簡単ですが、それより、一人でやらせたほうがその子のためになると考えたからです。
その子は生まれて初めて、やっと右手だけで体操着に着替えましたが、
そのとき、体育の時間はすでに三十分も過ぎていました。
二度目の体育の時間のときも、先生は放っておきました。
すると、この前は三十分もかかったのに、
この日はわずかな休み時間のあいだにちゃんと着替えて、
校庭にみんなと一緒に並んでいたのです。
どうしたのかなと思い、次の体育の時間の前、先生は柱の陰からそっと、
その子の様子をうかがいました。すると、どうでしょう。
前の時間が終わるや、あの弟が、まず自分の服を大急ぎで着替えてから、
手の不自由な隣の席の子の着替えを手伝いはじめたのです。
手が動かない子に体操着の袖を通してやるのは、
お母さんでもけっこうむずかしいものです。
それを、小学校に入ったばかりの子が一生懸命手伝ってやって、
二人ともちゃんと着替えてから、そろって校庭に駆け出していったのです。
そのとき、先生は、よほどこの弟をほめてやろうと思いましたが、
ほめたら、

「先生からほめられたからやるんだ」

というようになり、かえって自発性をこわす結果になると考え、
心を鬼にして黙っていました。
それからもずっと、手の不自由な子が体育の時間に遅れたことはありませんでした。
そして、偶然ながら、また七夕の日の出来事です。
授業参観をかねた初めての父母会が開かれました。
それより前、先生は子どもたちに、短冊に願いごとを書かせ、
教室に持ち込んだ笹に下げさせておきました。
それを、お母さんが集まったところで、先生は一枚一枚、読んでいきました。
「おもちゃがほしい」、「おこづかいをもっとほしい」、「じてんしゃをかってほしい」・・・。
そんないかにも子どもらしい願いごとが続きます。
それを先生はずっと読んでいくうちに、こんな言葉に出会いました。

「かみさま、ぼくのとなりの子のうでを、はやくなおしてあげてくださいね」

言うまでもなく、あの弟が書いたものでした。
先生はその一途な願いごとを読むと、もう我慢ができなくなって、
体育の時間のことを、お母さんたちに話して聞かせました。
小児マヒの子のお母さんは、我が子が教室でどんなに不自由しているだろうと思うと気がひけて、
教室に入ることもできず、廊下からそっとなかの様子をうかがっていました。
しかし、先生のその話を聞いたとたん、廊下から教室に飛び込んできて、
床に座り込み、この弟の首にしがみつき、涙を流し、頬ずりしながら絶叫しました。

「ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう・・・・・」

その声がいつまでも学校中に響きました。

「本当に感動したときの言葉」鈴木 健二 著 講談社文庫より